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この動画には収益無し
YouTubeから以下のようなメールが届きました。
つまりこの動画は収益が(ほぼ)ないのです。
要するに内容に問題があり、動画に広告がつかないのです。
やっぱり未成年同士の恋愛、初体験をにおわす表現がいけなかったのか。
あるいは近親相関がいけなかったのか、わかりませんが、収入が発生しない動画なのです。
【兄と妹】私と兄は小学生の時から両親に内緒で交際していた。
小学生の頃から付き合っていた私と兄
子どもの頃から好きだった兄
私の名はさおり、60歳です。
私には一つ上の兄がいます。
と言っても、血は繋がっていません。
両親は再婚で、私は母の、そして友昭兄さんはお父さんの子どもでした。
まだ私が5歳のときに、私たちは家族になりました。
お父さんも、友昭兄さんも、とても優しい人でした。
私は素直に、新しい家族ができたことを喜んでいました。
そして私と兄は周りから見ても、すごく仲のいい兄弟でした。
むしろ兄弟にしては、仲が良すぎたかもしれません。
だって本当は、血が繋がっていない他人同士です。
兄と妹というよりは、恋人同士のような仲の良さでした。
普通の兄弟は、手を繋いだり、家でも体を寄せ合ったりしないそうです。
しかし私たちは、テレビを見る時も、おやつを食べる時も、常にピッタリと、体を寄せ合っていました。
夜は一緒にお風呂に入り、同じ布団で寝ていました。
私は兄と肌をくっつけていると、それがすごく心地よかったからです。
そういう光景も子供のうちは、微笑ましくて可愛い、仲のいい兄妹だったかもしれません。
しかし二人が、小学校高学年になる頃には、そういった振る舞いに、両親から注意されるようになりました。
私が4年生になった時、お風呂も寝室も、兄とは別々にされました。
最初はそれが、とても寂しかったのを覚えています。
ですがやがて、私たちは親のいう通り、ある程度の距離を置く、普通の兄妹になっていきました
兄からの告白
私が6年生の夏休みでした。
先に中学生になった兄から
「相談したいことがある。家じゃ出来ないので公園に来て欲しい」
そう言って呼び出されました。
「オレ、好きな子がいるんだけど、さおりはどうしたらいいと思う?」
なんと兄からいきなりの恋愛相談!
私は驚きました。
中学生になったら、みんな好きな人が出来て、付き合ったりするんだなあと思いました。
このとき、兄がいつも以上に大人に見えた気持ちと、なぜか寂しい気持ちが、同時に私の中で込み上げてきました。
「お兄ちゃんが好きになる人ってどんな人なの?」
「あかるくて、楽しい子だよ」
「同じ中学の人?」
「いや、ちがう」
「別の学校の子?」
「今はそうかな」
「同じ年?」
「ひとつ年下」
「じゃあ小学生、私と同い年じゃないの」
「今は違うってことは、小学校の子?私の知ってる子なの?」
兄は黙って頷きました。
「誰かな?うちによく来る茜ちゃんとかかわいいけど」
兄はだまって、じっと私を見ていました。
わたしはまさかと思い、おそるおそる尋ねました。
「わたし……じゃないよね?」
「さおりだよ。オレがすきなのはさおりなんだ」
「もう我慢できないんだよ」
私はおどろきすぎて声を出すこともできませんでした。
「でも、私たち兄妹だし……」
「俺たちは血は繋がってない。たとえ兄弟でも、血が繋がってなかったら、結婚だってできるんだ」
本当のことを言うと、私もずっと兄のことが好きでした。
兄というより、異性としてです。
でもそれはいけないことなのだと、両親から教えられ、その気持ちをもう何年も押さえ込んできました。
でも今回の兄の告白で、その押さえ込んでいた気持ちが、いっきに弾け飛びました。
「私もお兄ちゃんが好き。こどものころから大好きだったの」
私は泣いたまま、ずっと兄に抱きついていました。
兄の体に触れたのは、4年生の時以来2年ぶりでした。
「ずっと、ずっとこうしたかったの。お兄ちゃんに抱かれたかったの」
2年の間で兄は声変わりもして大人の体になっていましたが、兄の体にふれる気持ちよさは少しも変わっていませんでした。
兄から告白されて、私たちは親だけでなく、友達にも知られないように、こっそりと付き合うようになりました。
デートはいつも放課後、
公園や河川敷で、子供の頃のように手を繋いで歩いたり、体を寄せ合ったりしていました。
毎日、日が暮れるまでおしゃべりしていました。
二人っきりの時は「お兄ちゃん」じゃなく、名前で呼びたいと言いましたが、家で間違えるといけないからといわれました。
「じゃあこれからも、お兄ちゃんと呼ぶから、かわりに」
そう言って私は目を閉じました。
すると兄はほっぺにキスをしてくれましたが
「こんなのじゃいや、ちゃんとしてほしいの」
私がそういうと、兄はやっと唇にキスしてくれました。
人の唇って、こんなに柔らかいものなんだと、この時知りました。
これが私たちのファーストキスでした。
両親の離婚
私が中学2年生になった時のことです。
父も兄もいないときに、母から話があると言われました。
「最近、友昭とはどうなの」
母の怖い顔を見た時、兄と付き合っていることがバレていたのはわかりました。
「気づいてないとでも思ってるの?血は繋がってなくても、あなたたちは兄弟なのよ」
母はすごく怒っていました。
兄に告白されたあの日から、2年が経っていました。
中学生でも2年も付きあっていれば、中にはキス以上に進んでいる子もいます。
でも私たちは、この時もまだ、キスまででした。
「わたしたち、お母さんが思っているようなことはしてないわ。怒られるようなことは、絶対してないから」
私はそう言って立ち上がり、自分の部屋に帰ろうとしました。
「まちなさい、今日の話はそれだけじゃないの」
母の話というのは、父と離婚するということでした。
もう離婚届けは出されており、今月中にも母と私は、この家を出ていくことになっていました。
「そんな!?私もう中学生なのよ、一言ぐらい相談してよ」
いったい何があったのか、母は言ってはくれませんでした。
私は、兄と離れ離れになることが嫌でした。
兄との初体験
離婚から1ヶ月後、私たちはこっそり手紙でやりとりをし、内緒でデートをしました。
兄と会うのが久しぶりだったこともあって、この日は朝からドキドキが止まりませんでした。
私たちは中学2年生と3年生。
周りから見れば可愛いカップルのデートです。
「もう一緒に住んでないんだし、今度こそ名前で呼びたい。やっぱりトモアキ君かな?」
そう言って何度かトモアキ君と呼びましたが、兄が
「お兄ちゃんて呼ばれる方が興奮する」
と言い認めてくれません。
私は
「なにそれ、意味わかんない」
と言いましたが認めてもらえず、結局お兄ちゃんになりました。
デートはどんなコースだったか、昔のことなのであまり覚えていません。
ただ、二人で食べたソフトクリームが美味しかったこと。
そしてこの時のキスが、ソフトクリームの味だったことだけ覚えています。
そのデートの後、
「今日は父さん、家にいないんだ。久しぶりに家に帰ってみる?」
そう言われ、私は黙って頷きました。
彼氏の部屋に遊びに行く。
それがどう言う意味なのか、中学生の私でもわかっていました。
でも「実家に帰るだけ」そう自分に言い訳をしました。
実家の兄の部屋に入ると、懐かしい空気に包まれました。
「子供の頃、この布団でよく一緒に寝たよね」
そういって私はベッドに寝転びました。
「一緒に昼寝しようか」
「夕方には帰らないと、お母さんに怒られるわ」
「夕方まで、まだ時間はある」
この日、わたしは帰るのが少し遅くなりましたが、母は何も言いませんでした。
その後も母には内緒で、手紙で連絡を取り合っていましたが
宛名の筆跡からバレてしまい、兄とは連絡が取れなくなりました。
このとき、やっと母が離婚の理由を教えてくれました。
二人は、私と兄以外に、新しく自分たちの子供が欲しかったそうです。
でも母が高齢だったこともあって、それは叶いませんでした。
そして父はほかに愛人を作り、そちらに子どもができたことが、離婚の原因だったそうです。
兄との別れ
その1年後ぐらいだったと思います。
兄から一度だけ電話がありました。
「さおりが二十歳になったら迎えに行く。そして俺たち、結婚しよう」
そう言われました。
私は嬉しくなって
「うん、わかった、私待ってるから」
と返事をしました。
高校に入ると、私みたいな普通の子でも、何回か男子から告白されました。
でも毎回「好きな人がいるから」と言って断りつづけました。
ですが私が二十歳になっても、兄から連絡はありませんでした。
それから少しずつではありますが、兄への想いは薄れていき、私も人並みに男性とお付き合いするようになりました。
兄から結婚の連絡
私が34歳の時です。
もうこないと思っていた、兄から連絡がありました。
20年ぶりに聞く、兄の声でした。
兄はほかの子と結婚することになったそうです。
「おにいちゃん、おめでとう。じつは私も今度結婚するの」
と涙声にならないように、笑いながら対応しました。
これが私と兄の最後の会話でした。
わたしはそれまで、返事を保留してきた、彼氏のプロポーズを受け入れ、結婚しました。
兄の最期
私は60歳になりました。
そして兄の家族と名乗るかたから、連絡がありました。
兄は末期癌で、余命はもう無いということでした。
もし迷惑でなければ、最後に会ってあげて欲しいと言われ、私はおよそ45年ぶりに、兄と会うことになりました。
病院に着くと、40代ぐらいの女性が私を迎えてくれました。
この人がお兄ちゃんの奥さん?
どことなくお兄ちゃんと似ているけど……
「兄の奥様ですか?」
わたしがそう尋ねると、すこし間をおいて
「ともあきの妻です。そして妹でもあります」
と言われました。
彼女は父と当時の愛人の娘、つまりあにとは異母兄弟の、血の繋がった妹さんでした。
私の母と離婚後、父と結婚した新しい家族だったのです。
兄とは子供の頃から仲良く、思春期の頃には兄と交際していたそうです。
異母兄弟だと、血は繋がっているので、法律上結婚はできません。
ですが二十歳の時から、事実婚の夫婦として、ふたりは暮らしてきたそうです。
「兄の初恋はさおりさん、血の繋がっていない妹。
そして結婚したのは血の繋がった妹の私。
兄は許されないことを2回もしたのです。
自分でも「こんな病気になったのは、バチが当たったから」そう言ってました」
ふつうの男女は血のつながりがあると、恋愛感情を抱かないように、遺伝子に組み込まれている。
よくそんな話を聞きますが、兄はちがったようです。
妹だから好きになったのか、それとも好きになった女性が、たまたま二人とも妹だったのか。
それはわかりませんが、私も彼女も、兄から愛されていたことに間違いありませんでした。
病室に入ると、兄はすでに意識がありませんでした。
「兄の、夫の、最後のお願いを聞いてもらえますか」
「私でできることなら」
「兄は自分が逝く時は、私とさおりさん、ふたりに手を握っていて欲しい。そう言ってました」
私は泣きながら、すこし笑ってしまいました。
それを言った時の兄の顔を想像すると、つい笑わずにはいられなかったのです。
「私も最初断ったんです。言ってみれば、私たちって、奥さんと元カノですよね。ありえないって。
そしたら「二人は妹だよ」っていうんです」
そういえば昔、名前で呼ばれるより「お兄ちゃん」と呼ばれる方が興奮する。
そう言ってたことを思い出しました。
「兄のことは、普段はどう呼んでいたんですか」
「お兄ちゃんです」
「やっぱり」
私が
「お兄ちゃん、ひさしぶり、さおりよ、わかる?」
そう話しかけると、意識はないはずなのに、少し顔が笑ったように見えました。
「二人の妹でおくってあげましょう」
そういって私たちが手を握ってあげると、兄の顔は穏やかになり、そして天国に旅立っていきました。