元風俗嬢サトミ 53歳
過去を知る人
私はサトミ、53歳。
結婚して20年以上経つ、今は本当に、本当に平凡な主婦です。
夫の和彦とは、私が31歳のときに結婚しました。
それ以来、私は夫一筋。
和彦も私を愛してくれて、私たちはおしどり夫婦と呼ばれることが多いです。
でも、私には誰にも言えない過去があります。
実は私はハタチから、およそ10年間、風俗店で働いていました。
30歳のとき、和彦と出会い、店を辞めました。
私が風俗で働いていたことは、ずっと隠してきました。
和彦に、この過去だけは、知られたくないと思っていました。
ある日、私は街で一人で買い物をしていました。
久しぶりの一人の時間を楽しんでいたとき、「麗華ちゃん、麗華ちゃんじゃないか」という声が聞こえました。
最初は自分のことだと思わなかったのですが、後ろから肩を叩かれ、自分のことだとわかりました。
「麗華」というのは、私がお店で働いていた時の源氏名です。
嫌な予感がしましたが、振り返るとそこには見覚えのある男が立っていました。
「大森さん?大森マネージャー?」
彼は私の風俗嬢時代の、店のマネージャーでした。
「久しぶりですね、昔はお世話になりました」
私は笑顔で挨拶しましたが、少し嫌な予感がしました。
「相変わらずきれいだね。元気そうで何よりだ」
私はできるだけ平静を装ってましたが、心の中は動揺していました。
店の人間は店外で偶然会っても、お互い気づかぬふりをするのが業界のルールです。
まして店を辞めた嬢に、声をかけることなど絶対にありません。
「結婚するからといって急に店を辞めたよね。あの時はまいったよ」
「ごめんなさい、あの時は」
わたしはすぐに謝りました。
とりあえず、早くこの場を立ち去りたかったのです。
大森は私に近づき、耳元で囁きました。
「旦那さんに、おまえが風俗嬢だったことを教えたら、どうなるかな?」
大森は私を脅してきました。
まさか20年も経ってから、過去がバレそうになるなんて。
「口止め料として200万用意するか、定期的に俺と関係を持つか。どちらがいいかな?」
風俗を辞めて、いまは夫の給料だけで暮らしています。
200万なんて大金、用意できるわけありません。
私は和彦に嘘をついて20年間暮らしてきました。
和彦にだけは過去を知られたくない。和彦との生活を守りたい。
「お金は用意できません」
私は小さな声で言いました。
「そう言うと思った。じゃあ、俺と定期的に会ってもらうしかないな」
大森はそう言ってにやりと笑いました。
昔の名前で呼ばれて
「昔、店にいた頃、何度もお前に研修してやったこと、おぼえているか?」
「はい……でも私はどんなに頑張っても指名が増えませんでした」
「だから俺はお前に、男を喜ばせるテクニックを教えてやった」
「さあ、今日は20年ぶりの研修だ。昔のように、俺をお客様と思ってサービスするんだ」
「はい」
そういわれると私は体を密着させ、自分の体をつかって大森の体を洗い始めました。
「そうだ、いいぞ、昔を思い出したか」
20年前の私は、毎日のように仕事として、こうして好きでもない男性の体を洗っていたのです。
あの頃はお金のためにこうしていました。
「麗華、あの頃と変わらない、最高の体だ。旦那にも毎晩、こうやってサービスしてるのかな?」
わたしは首を振りました。
「そうだな、こんなすごいテクニックつかったら、元風俗嬢だっていっぱつでバレてしまう」
そう言って大森は大笑いしました。
その日から、私は毎週のように呼び出され、風俗嬢時代のプレイを要求されました。
「いいことを教えてやろうか。お前は指名が少なかっただろう。あれは本当は、俺が指名客をことわっていたんだ」
「本当の指名数は、店ではダントツのナンバーワンだった」
「俺はお前が好きだったんだ。
だが店の嬢に手を出すのは御法度。
そこで俺は、お前の指名が少ないことにして、研修と称してお前とやってたんだ」
なんということでしょう。
私があんなに一生懸命だったのに、指名が伸びなかったのは、全部この男のせいだったのです。
20年経って、わたしは真実を知らされました。
過去を知っていた人
ある晩、和彦は私に尋ねました。
「元気がないね。どうしたの?」
和彦は、最近私の様子がおかしいことを、敏感に感じ取っていました。
「なんでもないわ。少し疲れているだけ」
私は心の中で和彦に謝りながら、どうすることもできない自分を恨みました。
その次の日のことです。
この日も私は大森に呼び出されていました。
そしてホテルから出てきたところに、和彦が立っていたのです。
わたしはおどろいて、膝から崩れ落ちました。
和彦は無言で私を見ていました。
終わった。
目の前が真っ暗になりました。
幸せだった和彦との生活は、これで終わったのです。
しかし和彦の顔は、怒ってるでもなく、悲しんでるでもなく、なにか悟り切った表情でした。
「ごめんなさい…私は…私は…」
言葉になりませんでした。
涙が止まらず、その場でただ謝り続けました。
「ちぇっ、バレちまったか。まあいいや、ずいぶん楽しませてもらったぜ。
そう言って大森は逃げるように去っていきました。
「里美」
「ごめんなさい、わたし、ずっとあなたに隠していたことがあるの。実は、私は昔…」
私が過去を打ち明けようとすると、和彦は私を静止しました。
「知ってるよ」
彼は静かに言いました。
「君が昔、どこで働いていたか知ってる。
結婚前に両親が、興信所を使って君のことを調べたんだ。
そしてずいぶん反対されたけど、僕はそんなこと、ぜんぜん気にしなかった」
「どうして…どうしてそんな」
私は信じられない気持ちで彼を見ました。
「君を愛しているから。それがすべてだから。」
そういって和彦は私を抱きしめました。
和彦がすべてを知っていたことを知り、私の中に長年あった重石が消えていきました。
その日の夜のことです。
「里美、お願いがあるんだけど」
照れくさそうに彼が私に言いました。
「ぼく、風俗とか行ったことがないんだ。でも一度行ってみたかったんだ。だから」
私が昔お店でしていたプレイを、自分にもしてほしいというのです。
わたしは思わず笑ってしまいました。
「よろこんで。ご指名、ありがとうございます」
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