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最初この動画には収益が無かった
ちょっと規約スレスレのエロい表現を使うとYouTube運営からこんなメールが来ます。
またか!また広告つかないのか!
なぜだ、なぜなんだー
Hなシーンなんてほとんど無いぞ?
一体何がいけなかったのか!?
最初の設定では「レンタル彼女」サイトから40代の女性、春美さんを指名して、お母さん役を演じてもらうという話だった。
このレンタル彼女という設定がいけなかったのか。
そこでレンタル彼女を家政婦に変えてみた。
ついでに女性の名前も悦子にした。
このネーミングがオレの天才的センスだ笑
すると問題がない動画として認められ、広告がつくようになりました。
母親代行。医学部志望の受験生との同居生活
家政婦、悦子
私は悦子、52歳。
私の仕事は、人材派遣会社に登録されている、家政婦、つまりお手伝いさんです。
契約内容次第で、炊事、掃除、洗濯といった、家事全般から
その家庭の子供たちの、面倒まで見るのが私の仕事です。
今回のお客様は、東京大学医学部を目指す、浪人生の俊夫さん、21歳
そして少し変わった契約内容で、私には、母親役を演じてほしいというのです
受験までの2か月間、私は母親として、住み込みで一緒に暮らすことになりました
「これから2か月間、どうぞよろしくお願いします、母さん」
俊夫さんは深く頭を下げました。
「こちらこそよろしく、俊夫さん。今日から私が母親としてサポートするわね」
浪人生がひとりで住むのには、贅沢すぎる都心の3LDKのマンション。
実家が病院経営をされているので、やっぱりお金持ちなのでしょう。
俊夫さんは男三人兄弟の三男坊。
生まれてすぐに母親を亡くし、男ばかりの家庭で育ちました。
父親は関西で病院を経営するお医者様で、お兄さん二人も同じ道を進みました。
俊夫さん自身も医者になるため、東大医学部を目指していました。
しかし結果を出せず、三ろうしているのです。
「僕は落ちこぼれだから。兄たちと比べたら全然ダメで……」
そう言う俊夫さんは、優秀なお兄さんたちに、ものすごいコンプレックスをいだいているようでした
こんな時に彼を励まし、勇気づけてあげるのが私の役目です
「そんなことないわよ。私も応援するから、頑張って今年こそ合格しましょう」
「母さんにそう言ってもらえると安心するよ」
私は俊夫さんに対して、ただの家政婦以上の役割を担わなくてはならないと思いました。
受験生としての彼を支えることはもちろん、母親のいなかった彼に、少しでも母の愛情のようなものを感じてもらえるよう、頑張ろうと思いました。
母親として同居生活
そしてこの日から、私たちの、母と息子としての生活が始まりました。
私は朝早く起き、俊夫さんのお弁当を作り、予備校へ送り出します
彼が予備校に行ってる間、私は部屋の掃除や洗濯をします。
彼が帰ってくると、本当の母親のように自然な感じで出迎え、その日の勉強の成果や、テストの結果を聞いて励ましたりします。
食事の献立は、好物だけに偏らないように、栄養のバランスを考えて準備します。
夜は彼の勉強を見守りながら、夜食を用意します。
「母さんの料理、食べていて、何か懐かしい味がする
「俊夫さんが勉強頑張れるよう、ちゃんと栄養バランスを考えているの」
彼の喜ぶ顔を見るたびに、私自身も頑張ろうという気持ちになりました。
24時間住み込みで、ずっといっしょにいるからでしょうか。
私も本当に母親のような気持ちになり、俊夫さんには絶対合格してほしい。
そう思うようになったのです。
思春期の息子との向き合い方 その1
俊夫さんとの親子生活が始まって10日目のことです。
俊夫さんが予備校に行ってる間、私は彼の部屋を掃除していました。
するとベッドの下に、雑誌が何冊か隠されていたのを発見しました。
手に取ると、それはアダルト写真集でした。
まあ、あの子ったら
それを見た私は、正直どうするべきか迷いました。
年頃の男の子である以上、そういったものに興味を持つことは自然なことだと分かっています。
それでも、母親役として一緒に暮らしている立場からすると、見逃すことはできません。
俊夫さんは受験生なのです。
こんなことに気を取られ、勉強に支障が出てはいけない。
私はそう考えました。
その日の夕食を終えた後、私はこのことについて話をしました。
「俊夫さん、すこし話をしてもいいかしら?」
「どうしたの、母さん?」
私は俊夫さんの前に、ベッドの下に隠してあった本を並べました
「今日掃除をしていて、こんな本を見つけたの」
「……!」
俊夫さんの顔が真っ赤になりました。
そしてイタズラが見つかった子供のように、黙ってうなだれました。
「別に怒ってるんじゃないの。俊夫さんも男の子だし、女性の裸に興味を持つのはしょうがないわ。でも今は受験が控えているわけだし、勉強の邪魔になるものは、少し整理した方がいいと思うの」
私はできる限り穏やかな口調で、彼を諭すように話しました。
俊夫さんは黙ってうつむいていましたが、やがて小さな声で言いました
「ごめんなさい……わかりました」
「わかればいいのよ
これは私が処分しておくわ。
今は勉強に集中することだけを考えてね」
私がそう言うと、俊夫さんは自分の部屋へ戻っていきました。
彼がちゃんとわかってくれたみたいで、私は安心しました。
「これできっと勉強に集中してくれる」
私はそう信じていました。
思春期の息子との向き合い方 その2
しかしその翌週の模擬試験で、俊夫さんの成績はよくありませんでした。
今までB判定だった成績が、C判定に落ちたのです。
「大丈夫。間違えた箇所はほとんどケアレスミス。問題は理解しているんだから、次から気をつければいいいだけよ」
私はそう言って、俊夫さんを励ましました。
その日の夜、深夜2時のことです。
私はトイレで目が覚めてしまいました。
俊夫さんの部屋の前を通ると、まだあかりがついていました。
「まだ勉強しているのね」
最初はそう思いました
ところが部屋の中から、俊夫さんの少し荒い息遣いが聞こえてきたのです
「あの子ったら、まだそんなことを」
そんなことをするぐらいなら、早く寝て睡眠をとったほうがいいのに……
私は注意しようと思い、そっとドアを開けました。
すると俊夫さんは
「悦子さん……」
と私の名前を呼びながら、自分を慰めていたのです
私は自分が間違っていたことに気がつきました。
年頃の息子が、自分で性欲を処理するのを禁止したことを。
そんなことをすれば、かえって集中力がなくなり、日頃の勉強はもちろん、試験でケアレスミスをするに決まっています。
「俊夫さん」
私にいきなり後ろから声をかけられ、俊夫さんは驚いてスマホを落としてしまいました。
一体いつ撮ったのでしょうか。
スマホの中には、私が着替えをしている写真がありました。
「ごめんなさい、全部消します。もう二度としません」
俊夫さんは泣きながら謝りました。
「謝るのは母さんのほうよ。あなたを苦しめて成績まで落としてしまった、私のほうこそ母親失格よ」
そう言って私は、俊夫さんを抱きしめました
「母さん……」
「さっきのように、悦子って呼んでいいのよ」
「悦子さん……」
私は俊夫さんをベッドに寝かせ、慰めてあげました
「いけない母さんを許してね」
僕のほうこそごめんなさい
そう言うと、彼は私の手の中で果てました。
それからというもの、俊夫さんは集中力を取り戻し、成績が伸び始めました。
机に向かっている時の表情も、それまでとは全然違いました。
私が夜食を運んでいっても、気がつかないぐらい集中していることもありました。
彼は普段は私のことを母さんと呼んでいますが、私に甘えたい時は「悦子さん」と呼び方を変えてきます。
その時には彼を抱きしめ、励まし、そして慰めてあげるようになりました。
そして最後の模試で、東大医学部にえええ判定が出ました。
ここまでくれば、あとは本番に力を100%発揮出来さえすれば合格です。
「母さん、もし合格したら、ぼくは母さんにしてほしいことがあるんだ」
「もしなんて言ったらダメ。俊夫さんは必ず合格するわ。わたしは俊夫さんが東大生になった姿が見たいの。そして試験が済んだら、二人だけでお祝いしましょう」
本番前夜
二か月の親子生活も終わりが近づき、いよいよ明日は東大医学部の入試の日です。
俊夫さんは最後の確認をするように、参考書に目を通していました。
俊夫さん、今夜はもう休んだら?
「ありがとう、母さん。わかっているけど、なんだか落ち着かなくて
「また落ちたら、どうしようって思って。もしそうなったら、父や兄たちに会わせる顔がない」
これこそが、これまで彼が抱えてきた重圧でした。
私は彼の手をそっと握り
「俊夫さん、大丈夫。これまであなたが頑張ってきた姿を、私は誰よりも見てきたわあ。私は信じているの。俊夫さんは必ず合格するって。さあ、明日に備えてもう今日は寝なさい」
「ありがとう、でもなんだか寝られそうにない」
「しょうがない子ね。じゃあ今夜は母さんが一緒に寝てあげる。だったら寝られるでしょ」
「母さんとじゃなくて……今夜は悦子さんと寝たいんだ」
俊夫さんからそう言われ、私はうなずきました。
「勉強は教えられないけど……」
そういって私は一緒にベッドに入りました。
もともと俊夫さんが合格したら、お祝いをしてあげるつもりでした。
「その代わり、絶対合格してね」
受験前の最後の夜は、彼の初めての夜であり、そしてそれは少し長い夜でもありました。
そして東大合格の報せ
そして合格発表の日、俊夫さんから電話が入りました。
それは待ち望んでいた、東大合格の知らせでした。
「東大医学部に合格したよお」
2ヶ月間一緒に暮らしたことで、私は俊夫さんのことを、本当の息子のように思っていました。
その息子の合格の報告を聞いて、私も心から喜びました。
「おめでとう、俊夫さん! 本当に良かったね!」
「これも全部母さんのおかげだよ。
母さんがいてくれたから、最後まで頑張れたんだ」
その言葉に、私は涙が止まりませんでした
母親役として過ごした日々は、私にとって、人生で忘れられない時間となったのです。
そして私は母親として、最後に彼に
「立派なお医者さんになってね」
と言葉を贈りました。